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ホモフォビアの象徴と化した「野獣先輩」

近年、ゲイビデオ出演者を「野獣先輩」と名付け、彼を登場させる動画が大量生産されている。私はこれらの動画を観はじめた当初、ゲイフレンドリーな人々が増えてきたのだろうかという感覚を得たが、それは間違いだったとすぐに気づいた。

ここで一番主張したいことを、あえてはじめに書いておきます。

「野獣先輩」関連動画はホモフォビアの媒体です。

ホモフォビア とは何かを確認しておきますと、一言でいえば「同性愛嫌悪」です。

「野獣先輩」動画ではパターン化されたコメント(ニコニコ動画において)がよく投稿されています。それを以下に記します。

「くさい」「汚い」「(迫真)」「(便乗)」etc.です。後半二つは特にフォビアは感じられませんが、前半二つからは明らかな嫌悪の意味合いを感じ取れます。

そもそも「くさい」という嗅覚あってこその表現が、臭いが伝わらない動画に対して向けられるという時点で特異さを感じます。

他人に向かって「くさい」という表現をあてる点では、部落差別に通じるものを受け取ることができるのではないでしょうか。

このホモフォビアの媒体と化した野獣先輩を考えるにあたり、興味深い点があります。

本来、嫌悪感を抱くのであれば、その対象から遠ざかろうとすると思うのですが、野獣先輩を通してホモフォビアを示す人々は「積極的」に同性愛へ干渉しているのです。

嫌いなものに対して積極的に干渉していく それは「攻撃」以外の何物でもないと思っています。

この記事を書くに当たり、いろいろとホモフォビア関連の記事を読んでみました。そこではホモフォビアを主張する人々は、「潜在的に同性愛に対して興味がある」 という指摘をしているものがありました。

僕は、これらの考えを踏まえ、フォビアを主張する人々は結局のところ「興味」が有り、それを公にすることを避けるため「攻撃」以外の方法しか成しえない状態なのだと考えるようになりました。

では、どうしてその「興味」を隠すのか。その答えは簡単で、自分自身が「差別」されることを恐れているからでしょう。しかし、彼らに言いたいのは、そんなに心配する必要は無いということです。

古典的なフォビアの表現として、よく尻に手を当てて「俺を襲わないでくれ」という台詞を言う人や漫画がありますが、そういう事をやっている人に限って「性的魅力」がない。はっきり言ってそういう表現をする人々はナルシストか何かだろうと思っています。

多少軸がそれましたが、「野獣先輩」を通してネット上でホモフォビアを展開する人々が多くなっていることは同性愛者であれ異性愛者であれ危惧すべき問題であると思います。(※ちなみに筆者はクエスチョナーとして大学2年までゲイの先輩にお世話になりいろいろと知識を授かりましたが同性愛者ではありません)

ゲイフレンドリーな人間が増えてきたのかと思えば、実はそうではないのだということを指摘したくて書きました。