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視点を変えたい(配慮する心)

僕のみならず、誰だって言葉を伝えたり、考えたりするときは必ずその人の「視点」があると思う。自分に見えるものをベースに物事を考えることは多いことだろう。これは、広義で自己中心的 なのかもしれない。 モノを見る視点を変えたい。

 

そう思ったのは、最近 サークルやら演習やらで人と意見をぶつけることがやたらと多くなったからだ。ここ数日は毎日、他人との意見のぶつけ合いが多い。

 

たとえば、どんな状況でもいいけど 役割を自分が持っていたとする。共同作業をする相手がいて、その人も役割を持っている。

そのとき相手は、役割の内容を勘違いしていたとする。僕はその間違いを修正しようと努める。このとき衝突が起きる。

僕の視点から見れば、相手は間違っている。相手から見れば、その人は間違っていない。

このとき、相手はすっかりと自分の役割を限定しつくしているのだと僕はおもうことになる。

限定しているから「自分の役割は〇〇なのに、今の現状は△△だから これはおかしいことである」 と僕に反発してくるだろう。

 

ここでロールプレイング なんてものができたらさぞかし便利だろう。

一瞬でもいいから、役割を変えてみたい。 視点を変える補助にならないだろうか。

視点を変えることで、自分の立場が本当にわかる なんてことがあるかもしれない。

 

次の例

僕が何かを提案したとする。 これを見た人たちが次々と意見(文句)をしてくる。

彼らは 僕の役割は提案すること 自分たちは受け身の役割 と限定しているのだと思うことになる。

(実例なので、踏み込むと) 提案する役割の僕は、受け手がどう思うかそれなりに考えるわけだ。(相手を傷つけないように神経をすり減らすのだ)

 それを一瞬のうちに反論してくるというのは、彼らの思考回路は高速道路のように回転が良いのだろうか。そんなわけないだろう。

 

瞬時の反論には必ず感覚的なもの、自己中心的な視点が盛り込まれていると思う。(この意見もまた感覚的であるが...)

ここでロールプレイングが欲しい。

受け身にとっての相手(=提案する側)はどのようにして自分たちに提案してきたのか その過程をたどってみるとおもしろいのではないか。

それさえ知れば、一瞬で反論するなんて到底無理だ。

 

そうはいっても、こう書いていることだって結局は自分の視点から抜け出せていないところが多々あると思う。

要は、人とコミュニケーションするためには自分を相手の立場に置き換える(小学校で耳にタコができるくらい聴かされた名文句w)配慮の心が必要だとここ数日ひしひしと感じているのです。

また、自分がやっていることに 全否定でもない限り、コメントをもらえるというのはありがたいことだと思う。ここでも、相手がどうしてそういう言葉をかけてくれたのか、視点を置き換え反芻して、自分にとってプラスになることを吸収する姿勢(恩師は 吸収男児 とおっしゃってた)は忘れないようにしたい。